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剣道一筋から2年で日本代表へ。フレスコボール・中野克希選手インタビュー

剣道一筋から2年で日本代表へ。フレスコボール・中野克希選手インタビュー

フレスコボールは「2人で協力してラリーを続ける」ブラジル発祥のスポーツです。勝ち負けを争わないこの競技に、小学2年生から21歳まで剣道一筋だった青年がのめり込み、始めてわずか2年で日本代表になりました。

兵庫県明石市を拠点にするクラブ「Grêmio PONTE AKASHI(グレミオ・ポンチ・明石)」の中野克希(なかの・かつき)選手。「かっちゃん」の愛称で呼ばれる彼に、フレスコボールとの出会いから、優勝トロフィーの裏に書いたメッセージまで聞きました。

プロフィール

  • 中野 克希(なかの かつき) / 愛称:かっちゃん
  • 所属:Grêmio PONTE AKASHI(フレスコボール明石)
  • 競技歴:2021年4月〜
  • 主な実績:2023年度・2024年度 日本代表、ツダノマツバラカップ2024 男子カテゴリ優勝
  • 前歴:剣道(小2〜21歳、中学・高校・社会人の実業団まで)

小2から21歳まで、ずっと剣道だった

中野選手のスポーツ歴は、そのほとんどが剣道です。

「部活とかちゃんとやりだしたのは小2の頃。そこからもうずっと剣道。中学の部活も剣道、高校の部活も剣道、社会人になっても剣道みたいな」

会社の部活制度で実業団としても続け、21歳まで竹刀を握り続けました。裏を返せば、球技の経験はほとんどないままフレスコボールに出会ったということです。

剣道の試合会場
小2から21歳まで続けた剣道

始まりは、雨の日の公園だった

出会いは2021年4月。きっかけは職場の人間関係からでした。

「今働いているところの上司と知り合いの人に、間所俊二さんっていうイケメンなダンディーな人がいて。その方がファミリーでフレスコボールをやっていたんです。それで上司から『最近フレスコボールっていうスポーツを知ったんだけど、やらないか?』って」

そして迎えた初日は、あいにくの雨でした。

「明石はあんまり雨が降らないんですけど、一発目は公園でした。雨ザーザー降りで(笑)。海岸ができないから公園で、明石のメンバー何人かと」

大蔵海岸に集まったフレスコボール明石のメンバーの集合写真
明石・大蔵海岸に集うメンバー

ハマったのは競技ではなく、「人」だった

初日から競技そのものに夢中になった——わけではありませんでした。中野選手が挙げたのは、練習後のご飯です。

「フレスコボールっていうスポーツ、このやってることが楽しいとかじゃなかったんです。もちろん楽しかったですけど。その雨ザーザー降りの公園の帰りに、みんなでご飯を食べに行って。そこが忘れられなくて。楽しすぎて」

フレスコボールの練習には、大学生から30代・40代まで、幅広い年齢層が集まります。

「みんなと喋ったとか、コミュニケーションが取れたっていうのが良すぎて。また、みんなのところに行きたいって、毎週毎週行くようになった」

競技にハマる前に、コミュニティにハマる。これはフレスコボールというスポーツを象徴するような入り方かもしれません。

大会でペアと拳を合わせる選手と、それを見守る仲間たち
ペアと仲間の距離が近いのがこの競技の特徴

「10回続かなかった」ところから、日本代表へ

いま日本代表として戦う中野選手ですが、始めた頃は苦戦の連続でした。

「めちゃくちゃ下手くそだったんです。初めての公園とか、10回も続かない。10回続けるために頑張る、みたいな」

転機は1年目のジャパンオープン。よく練習で教えてくれていた先輩ペア——松井選手・岸田選手が優勝する姿を見たときでした。

「教えてくれた師匠みたいな2人が優勝して、『おお、僕もこうなりてえ』って」

そこから年間を通してペアを組むようになります。最初のペアは四国の冨永裕己(トミー)選手。翌年は山下祥(やましょー)選手と組み、2023年度、初めての日本代表に選出されました。

「苦労しかないですね。毎週練習して、動画を見返して、上手い人たちと何が違うのか考えて。やましょーさんに『こうした方がいいんですかね?』ってすごい長文のメッセージを送ったりとか」

山下祥・中野克希ペア
山下祥・中野克希ペア

「早く明石に帰りたい」——代表になりたかった本当の理由

日本代表を決めたのは、千葉・稲毛での最終戦。その瞬間、中野選手の頭に浮かんだのは意外な感情でした。

「稲毛には明石のメンバーがいっぱいいなかったので、『早く明石に帰りたい』って思ったんですよ。下手くその頃からみんないっぱい打ってくれていたので、早く帰って報告とお礼を言いたいなって」

ペアの山下選手からは、シーズンを通して「なんで日本代表になりたいんや」と問われ続けていたそうです。その答えが、最後に見つかりました。

「みんながいて、みんなのために頑張りたい、みたいな。それが最終的に、僕が日本代表になりたかった理由になりました」

明石に帰ると、仲間たちは動画まで作ってお祝いしてくれたといいます。

二度目の日本代表と、「自覚」

2024年度は岸田選手とペアを組み、二度目の日本代表に。1年目とは心境が違ったと振り返ります。

「初めてなった年は、引っ張られているところもあったかもしれない。一回なって、自分も自覚を持ってやりたいなと思った。ふわっとした感じじゃなくて、自分は代表だっていう自覚を持って、大会もプレーも、日頃の練習も」

大会でフォアハンドを打つ2人の選手
岸田直也・中野克希ペア

トロフィーの裏に書いた「オカンへ」

そして2024年度、中野選手は初優勝を経験します。日付は3月31日、年度の最終日でした。

この日には、中野選手にとって特別な意味がありました。3人兄弟の長男で、翌日から末の弟が社会人になるタイミング。そして——

「母子家庭で、おかんが3人を一人で育ててくれた。それも込みで。優勝した人だけが(表彰式で)喋れるじゃないですか。あと、優勝トロフィーの裏にメッセージを書いてあげたいなっていうのが、僕の目標だったんです」

目標は、そのとおりに叶いました。

「3月31日に優勝できて、インタビューで『本当のヒーローはおかんです』って言わせてもらって、最後にトロフィーをあげました」

ツダノマツバラカップ2024 男子カテゴリ優勝の木製トロフィー
ツダノマツバラカップ2024・男子カテゴリ優勝

トロフィーの裏には、こう書かれています。

トロフィーの裏に手書きされた「オカンへ 3人をここまで育ててくれてありがとう!」のメッセージ
「オカンへ 3人をここまで育ててくれてありがとう! これからも元気いっぱいでいてくれよー! 2024.3.31 克希より」
ラケットを持ってベンチに並んで座る中野克希選手と母親
ラケットを持って並ぶ2人

中野選手が語る、フレスコボールの魅力

「フレスコボールをやったことがない人に伝えたいこと」を聞くと、中野選手はペアという単位の話をしてくれました。

「ペアの可能性というか、組み合わせで無限大ですし。あまり上手い・下手も関係ない。上手い人も、やり始めたばかりの人も、同じ目線でやれるんです」

「他のスポーツだと、経験値がめちゃくちゃある人と無い人が戦うと成り立たなかったりするじゃないですか。それが(フレスコボールは)めちゃくちゃ成り立つ。シンプルに経験の有無を問わない、っていうところが良いです」

球技未経験から日本代表になった本人の言葉だからこそ、説得力があります。フレスコボールがどんな競技なのかは「フレスコボールとは?ルール・歴史・魅力・始め方を初心者向けに完全解説」でも詳しく紹介しています。

明石・大蔵海岸というホーム

最後は、中野選手のホームである明石のPRタイム。ここは聞き手の栗原が熱弁しました。

「明石の大蔵海岸は白砂なんです。オーストラリアのゴールドコーストの砂が入っていて、めちゃくちゃサラサラで気持ちいい。子どもたちも裸足で駆け回れるくらい綺麗なビーチ。プラス、日本一長い橋を眺めながら、思いやりを持ってできるスポーツ・フレスコボールができる。それが Grêmio PONTE AKASHI です」

夜になれば明石海峡大橋がライトアップされ、まったく違う表情を見せます。

明石海峡大橋をバックにフレスコボール関西のタオルを持つ2人の選手
明石海峡大橋をバックに
白砂が広がる大蔵海岸と明石海峡大橋
白砂が広がる大蔵海岸
ライトアップされた夜の明石海峡大橋
夜はライトアップされた明石海峡大橋が見える

明石で一緒にラリーを打ちたい人は、フレスコボール明石 Grêmio PONTE のクラブページから練習場所と連絡先を確認できます。

あなたの近くにも、きっとある

中野選手が言うとおり、この競技は経験の有無を問いません。始めるのに必要なのは、ラケットとボール、そして一緒に打つ相手だけです。

  • 近くのクラブを探すならクラブマップ。全国のクラブを地図から探せます
  • 道具をそろえるならショップ。初心者向けのラケットも扱っています

あなたの家の近くにも、きっとフレスコボールをやっている人がいます。